島根県 邑南町・吉賀町 視察報告

吉賀町(旧柿木村)

吉賀町(旧柿木村)

日本創生会議(座長:増田寛也元総務相)が公表している試算によれば、2040年には全国1799の市区町村のうち896(49.8%)が「消滅可能性都市」[1]に該当するとされる。今回の視察対象である島根県は「消滅可能性都市」が84.2%と、都道府県別に見ても秋田と青森に次いで、三番目にその比率が高い。一方で、島根県中山間地域研究センターがおこなった公民館区・小学校区単位の人口調査では、2008年と比べ2013年に4歳以下の子どもの数が1人以上増えたのが73地域、全体の33%に上り、とくに山間部で目立つという(山陰中央新報2014年6月30日24面)。「地域の力フォーラム」では、2014年10月に島根県邑南町と吉賀町を訪れ、そこに田園回帰のいくつかの例を見た。

邑南町

邑南町は、2004年10月に羽須美村、瑞穂町、石見町が合併してできた町で、石橋良治町長のもと行政が積極的に移住者の受け入れに取り組んでいる。町では、2013年に人口動態が20人の社会増となった。合併の翌年はマイナス85人だったが、2012年にはマイナス14人にまで縮まり、9年後にはプラスに転じた。

~「日本一の子育て村」を目指して~

邑南町では、2010年の国勢調査で総人口が前回の調査から1,000人弱の減少となり、18歳以下の人口も200人以上減少した。そこで町は、2011年から10年間で「18歳以下の人口を1,800人に増やす」(2010年の18歳以下の人口は1,660人)という目標を掲げ、子育て支援の促進を図った。具体的な政策は、「第二子以降の保育料の無料化」、「保育所給食費の無料化」、「中学校卒業までの医療費の無料化」である。その他にも、不在だった産婦人科医を招き、妊婦健診を16回まで無料化した。財源は、過疎対策事業債をソフト事業に活用し、「邑南町日本一の子育て村推進基金」として5年分を確保。2億5,000万円を積み立てた。

2013年の日本の合計特殊出生率(一人の女性が生涯に産む子どもの平均数)は、1.43であるが、邑南町は過去5年平均で2.20、2013年は2.65と、国の平均を大きく上回っている。出産と子育ての環境を整え、女性にやさしいまちを目指す取り組みは、週刊誌やテレビでも取り上げられ、「シングルマザーにやさしいまち」としても評判が高まっている。

~「A級グルメのまちづくり」~
邑南町 酒蔵を改造した「ajikura(味蔵)」

邑南町 酒蔵を改造した「ajikura(味蔵)」

2011年には、「邑南町農林商工等連携ビジョン」を策定し、「A級グルメのまち」を目指す取り組みも始まった。これは移住者やUターン者の雇用を食と農から考えた取り組みである(大江,2014)。「A級グルメ」とは「ここでしか味わえない食や体験」のこと。町は、地元の米、石見和牛、石見ポーク、野菜やハーブで作った美味しい料理を「A級グルメ」として、観光協会直営のレストラン「ajikura(味蔵)」から発信している。酒蔵を移築した店内では、誇りをもって育てられた地元の素材によるイタリアンのコース料理を味わうことができる。「A級グルメ」の提供は、町民がビレッジプライドをもつための意識改革の運動にもなっている(大江,2014)。

「シックス・プロデュース」による「ミルク工房四季」

「シックス・プロデュース」による「ミルク工房四季」

現在、町内にはもう一つの店舗「プチajikura」があり、「ajikura」とあわせて9人が働いている。このうち5人は「耕すシェフ」という研修生で、その全員が「地域おこし協力隊」[2]である。「耕すシェフ」というネーミングには、「料理を作るだけではなく、自分で野菜を育て、人を耕し、地域を耕す」という思いが込められているという(大江,2014)。彼らは、2013年10月まで自然の農法と有機農業の専門家である米田美佐男さんから指導を受けた。料理のみならず、農業にも関わり、「A級グルメ」の後継者となることが期待されている。

邑南町には、自然放牧で酪農を営む若手起業家もいる。「シックス・プロデュース有限会社」代表の州濱正明さんは酪農家に生まれ、大学在学中に自然放牧を知ったことをきっかけに起業、1ヘクタールに1頭という割合で放牧をおこない、昔ながらの牛乳づくりでリピーターを集めている。

~移住者へのサポート~

邑南町では、移住者やUターン者が暮らしやすいまちづくりを進めるため「徹底した移住者ケア」がおこなわれている。そこで重要な役割を担うのが「定住支援コーディネーター」である。これは役場の定住促進課に所属する職員1名が専従でおこなっており、現在、定住支援コーディネーターを務める横洲竜さんは自身も移住者である。横洲さんは、住まいや仕事探しのみならず、生活や近所づき合いなど日常の悩み相談にものる。邑南町で定住者が増える背景には、移住の入り口だけではなく、こうした移住後のフォローを含めた「徹底したケア」があった。

吉賀町

~旧柿木村の有機農業によるまちづくり~
有機農産物の並ぶ道の駅

有機農産物の並ぶ道の駅

島根県吉賀町は、広島空港から車で2時間半の中山間地域にあり、2005年10月に六日市町と柿木村が合併して誕生した町である。周囲を1,000m前後の山々に囲まれ、美しい田園風景が広がる中、日本一の清流「高津川」が流れている。

旧柿木村は、平成15年度から移住者の受入活動をおこなっており、この11年間で合計116名(53世帯)が移住、内85名(40世帯)が定着している。特に平成23年度は、それまで10数名だった人数が29名まで増加した。震災後に西日本へ移住する動きも背景にあるようだ。

旧柿木村では、オイルショックを契機に、長年にわたって有機農業によるまちづくりがおこなわれてきた。その中心的役割を担ってきたのが元柿木村役場職員の福原圧史さん。現在は「特定非営利活動法人ゆうきびと」の会長を務めている。当時、高度経済成長期の最中にオイルショックが起き、福原さんは、村で豊かな生活を実現していくためには自給力を高めることが必要であると考え、地元の農業後継者グループに「自給力を高めよう」と提案をおこなった。しかし、世の中が換金できる作物を追い求める流れの中、当初は自給への理解はなかなか得られなかったという。

その頃、福原さんは山口県の有機農業研究会に参加し、女性を中心とした消費者グループに出会う。消費者グループは「売るための米や野菜ではなく、農家が家族に食べさせるための食材」を求めており、それを知った福原さんは「これこそ自給の延長の農業だ」と確信、「余り物を提供することから始めよう」と野菜の供給を開始した。昭和55年のことである。そしてこの運動のスタートにあたり、福原さんらのグループは農協婦人部の賛同者とともに「柿木村有機農業研究会」を立ち上げた。これが柿木村の有機農業の始まりである。

~アクセスの良さを背景に幅広く出荷~

島根の中山間地域はアクセスの良さに特徴がある。100万人都市の広島まで、柿木村から2時間足らずで通うことができ、加えて瀬戸内海周辺の工業地帯の町にも近い。福原さんらの取り組みは、岩国、徳山、益田などにも口コミで広がり、以来30年以上も安全な野菜やコメを作り、その余剰分をおすそ分けするという自給を優先した農業を展開している。

現在は、「食と農かきのきむら企業組合」という運動組織を軸に、有機農業研究会や加工組合、学校給食生産など様々な小さな生産グループが生産したいものを作るかたちをとっている。出荷先は幅広く、道の駅をはじめ生活協同組合(グリーンコープ)、広島市や山口市のスーパー、自然派レストラン、アンテナショップなどへの販路も出来上がっている。

~移住者をつなぐ~
加工組合の様子

加工組合の様子

移住者や新規就農者は農業を営む傍ら、林業・農業関係の副業を持つ半農半Xのライフスタイルをとっている。様々なことに挑戦しやすい環境の中、移住者たちは勉強会を実施したり、古民家を改装した農家レストランに集まり交流を深めている。

吉賀町への移住に関する情報は、町公認の「移住交流ポータルサイト」で入手することができる。同サイトは、吉賀町の魅力を発信するとともに、移住体験プログラム等の情報提供や、「よしかじん体験談」として移住者の生の声を掲載し、移住への流れを後押ししている。

[1] 2010年から2040年にかけて、20~39歳の若年女性人口が5割以下に減少する市区町村。
[2] この他に「地域おこし協力隊」には、「耕すあきんど」(道の駅の直売所等で特産品販売や情報発信をおこなう)、「地域クリエーター」(飲食店のプロモーションビデオの情報発信を担う)、「アグリ女子」(野菜やハーブを栽培し、販路を開拓する)、「アグサポ隊」(就農に向けて技術、経験、経営感覚、地域関係を身につける)がある。

【参考文献】

  • 一般社団法人農山漁村文化協会『季刊地域』SUMMER 2014, No. 18.
  • 大江正章,2014,「魅力にあふれた「消滅する市町村」」,『世界』2014年10月号.
  • 小田切徳美,2014,『農山村は消滅しない』岩波書店.
  • 島根県吉賀町公認移住交流ポータルサイト
ページ上部へ戻る