「『ビジネスと人権』て何だろう」をテーマに、CSOネットワークの評議員を務めて頂いている松岡秀紀さん(一般財団法人 アジア・太平洋人権情報センター(ヒューライツ大阪) 特任研究員)のコラムシリーズをお届けします。
お客様と社員を大切にしないと経営は続かない
企業には大切にしないといけないことがたくさんある。
企業はモノやサービスをつくり出し、必要とする人や他の企業に売っていく。しかし一定の売り上げと利益を出して回転させていかないと企業経営は続かない。この回転をもう少し詳しくみていくと、モノやサービスをつくり出すための人々が必要で、さらにそれらを買ってくれる人々が必要で、そして、企業活動を続けていくためには、立地する場所のまわりの人々との関係も考えないといけない。
お客様を大切にする、から考えよう。小規模の企業からグローバルに展開する大企業に至るまで、このことの大切さを否定する企業はおそらくほとんどないだろう。実際、何百年という歴史をもつ老舗企業の「社是」や「家訓」には、表現の違いはありながら、お客様重視を掲げるところが少なくない。大企業でも、消費材を生産するBtoC企業や小売り、飲食などのサービス業であれば、例外なく消費者のニーズや評価には敏感で、また企業理念や経営理念の中にお客様重視が謳われていることも多い。生産財をつくるBtoB企業の場合のお客様としての取引先も含めて、企業規模の大小にかかわらず、実際にお客様と接する最前線の現場では、その対応如何が日々問われているに違いない。ただ実際には、消費期限や素材などの情報を偽って市場に出したり、定められた品質基準に満たないまま納入したりして、消費者や取引先からの信頼を裏切ってしまう例も後をたたない。そうした場合は、社会的信用が失墜して経営に悪影響を及ぼし、場合によっては訴訟対応を迫られる場合さえある。
社員を大切にする、も同様で、まったくの個人事業でないかぎり社員や従業員の協力を得て働いてもらわないと事業活動を続けていくことはできない。社是や家訓、企業理念や経営理念に社員を大切にする旨が謳われていることも少なくない。実際にはそうなっていない場合が少なくないこともお客様の場合と同様で、適切な賃金を支払わなかったり、労働安全衛生が不十分だったり、あるいはセクハラやパワハラに適切に対応していないなど、働きやすい職場になっていない場合が少なくない。とりわけ現在、コロナ禍の厳しい現実の中で、いわゆる非正規の労働者など最も弱い立場の人々に大きなしわ寄せが及び、それでもなんとか努力している企業もある一方で、そうはなっていない場合も多い。
いずれにしても、こうした企業活動のまわりに登場する多くの人々との関係を良好なものにしておかないと、企業経営を続けていくことはできない。
過去数十年にわたって積み上げられてきた「企業の社会的責任」(CSR)の考え方では、こうした企業活動に関係する人々やその人々の集まりを「ステークホルダー」(関係先)と呼び、それらとの関係が重視されてきた。ステークホルダーには、消費者や取引先、社員や従業員だけでなく、企業が立地する地域社会の人々、さらにはNPOやNGOなども含まれる。株式会社であれば株主や投資家も含まれる。
そこでは、企業活動をステークホルダーに及ぼす「影響」の観点からとらえ、社会の一員である企業として、その影響に対する「責任」が求められてきた。そしてその際、マイナスの影響を最小化し、逆にプラスの影響を最大化することが重視されてきた。「責任」といえば法的な規制など上から押しつけられるようなイメージがあるかもしれないが、少し視点を変えれば、社会の一員としての責任を果たしてこそ、まわりからの信頼を得られ、そのことが、ひいては企業経営を安定させ、社会をより望ましいものにしていくことにもつながっていく。
「ビジネスと人権」の考え方
「ビジネスと人権」の考え方もこの延長線上にある。
ステークホルダーは非常に多くの「人」によって構成されている。「ビジネスと人権」は、その多くの人々の人権へのマイナスの影響に対処するために国連の場で議論され、比較的最近、10年ほど前に明確なかたちになった考え方である。
一般にもよく知られているように、企業の製品やサービスの生産に必要な素材、部品やエネルギーなどを調達する先を「サプライチェーン」というが、すでに20世紀の後半にはグローバル化の波が世界に広がり、このサプライチェーンも世界大に広がってきていた。同時に、市場を求める動きも世界大に広がり、企業活動は国境を越えて広がってきていた。その中で、多国籍企業と言われる非常に大きなグローバル企業も出現してきた。
企業活動が広がるとその及ぼす影響も広がり、大きくなっていく。とりわけ、いわゆる先進国の企業の生産現場が発展途上国などに広がっていき、そこでの過酷な労働のあり方が問題となってきた。また、その生産活動に伴う環境汚染などを通じて、立地する地域社会の人々に深刻な悪影響を及ぼすこともあった。
例えば1984年には、米国の化学会社のインド子会社の農薬工場から有毒ガスが漏れ出し、地域社会の人々に甚大な被害を及ぼした。1997年には、米国のスポーツ用品メーカーが生産委託していた東南アジアの工場で、児童労働、強制労働、長時間労働などの過酷な労働実態が明らかになり、大規模な不買運動につながった。
これはほんの一例だが、遠い国々の話かというとそんなことはなく、日本でも高度成長期の公害問題では環境汚染による地域社会の人々への悪影響が大きな問題になったし、最近でも、例えば技能実習生の労働をめぐる問題は解決すべき課題として大きく取り上げられている。加えて、グローバル化した世界の中で企業は、その規模の大小にかかわらず、事業活動のどこかで直接・間接に世界とつながっている場合が多い。ステークホルダーは比較的身近な消費者や取引先、社員や従業員だけでなく、サプライチェーンにまで拡大している。
こうした事情を背景に国連の場で議論され、その結果まとめられたのが、2011年に国連人権理事会で承認された「ビジネスと人権に関する指導原則」というものだ。この「指導原則」は世界でいま大きな影響を及ぼしている。日本でも2020年10月に、国として「指導原則」を実施していくための行動計画が策定された。
企業活動を安定させ、継続していくためにはお客様や社員などを大切にしないといけない。お客様や社員などを大切にするには、逆に、大切にできていない状態をなんとか改善しないといけない。あるいは普段から、大切にしない状態にならないようにしておかないといけない。この「大切にする」ということを「人権尊重」という切り口から考え、取り組んでいくために「指導原則」はある。
では「指導原則」はどんなものなのか、次回はそれをみていきたい。
松岡 秀紀
(一般財団法人 アジア・太平洋人権情報センター(ヒューライツ大阪) 特任研究員)
松岡秀紀氏プロフィール
地方自治体、国際協力NGO、環境NGO、京都CSR推進協議会事務局長等を経て、現在、一般財団法人アジア・太平洋人権情報センター(ヒューライツ大阪)特任研究員などとして、「ビジネスと人権」やCSR関連の調査研究、教材開発、アドバイザリー、セミナーやワークショップの講師などに携わっている。政府の「ビジネスと人権に関する行動計画(NAP)」では作業部会メンバーとして策定プロセスに携わった。そのほか、ISO14001の内部監査員研修なども行っている。また、同志社大学大学院総合政策科学研究科、関西学院大学経済学部、大阪市立大学人権問題研究センターで非常勤講師としてCSRや「企業と人権」を教えている。2020年6月より一般財団法人CSOネットワーク評議員。