第2回「SA8000にもとづく社会監査の成果~ 労働環境の改善と現場の主体性」

11.01


2008年11月

CSOネットワーク共同事業責任者
SAIジャパンリエゾンオフィサー
黒田かをり


表 SA8000の9つの要求事項
  1. 児童労働の禁止
  2. 強制労働の禁止
  3. 労働者の健康と安全
  4. 結社の自由と団体交渉権
  5. 差別の禁止
  6. 懲罰の禁止
  7. 適正な労働時間
  8. 適正な報酬(最低賃金以上)
  9. 持続的改善のためのマネジメント・システム

今年、ペンギン・プレスから「China Price: The True Cost of Chinese Competitive Advantage」という本が出版された。 これは、香港在住の米国人ジャーナリスト、アレクサンドラ・ハーニー氏が「世界の工場」として君臨してきた中国の製造現場の実態を2年かけて取材、調査をし、書いたものである*。 この本の第8章に、国際的な労働規格のSA8000(表参照)で知られるNGO、Social Accountability International(以下SAI)が、広東省開平市にある衣料品メーカーで、労働環境の改善を目的に取り組んだ研修プログラムが取り上げられてい る。 この研修について、「China Price」と、実際に研修を担当したSAIチャイナのディレクターであるマーティン・マー氏がまとめた事例をもとに記述する。

広東省開平市の工場の問題と社会監査

中国の繊維・衣料産業は、約2000万人という最大の雇用を生み出すセクターである。 今年に入ってからは、金融危機や中国元高などのあおりを受けて伸び悩みをみせているが、2007年(1~11月)の貿易額は1777.54億米ドルに達した。 インシエ社(Ying Xie Garments Ltd.)は、ブーツ、アウトドアのウェアなどでおなじみのティンバーランド社(以下テ社)を主要取引先にもつ衣料品メーカーで、開平市に2つの工場を持つ。 従業員は約500名、ほぼ全員が貧困地域などからの移住者で、その約半数は25歳以下という若者の多い職場だ。 1998年に、サプライチェーンマネジメントを強化したテ社は、取引先工場にも自社の行動規範に基づいた社会監査を要請。 インシエ社の2つの工場も社会監査を受けることになった。 工場のマネージャーは、当初、外部の要請による社会監査や行動規範の順守などには消極的であったが、最大の取引先であるテ社との取引中止を恐れた。 社会監査を受けた結果、法定最低賃金未満の支払い、ピーク時の過度の超過労働、高い離職率などが明らかになった。 テ社は、インシエ社の根本的な問題を解決するためには労働環境の改善が重要であると考え、SAIがパイロット事業として行っていた研修プログラムへの参加を決めた。

SAIは、インシエ社の経営陣に対し、1年余りの長期研修プログラムについて説明をした。 同社の経営陣は、離職率などの問題解決には前向きではあったものの、従業員を1年以上、研修に参加させることには躊躇があった。 そこを、SAIは、数ヶ月かけて労働環境の改善への投資の費用対便益を説き、従業員の仕事への妨げを最小限にすることなどを約束することで、何とか同社を説得した。 2004年の初めのことである。

SAIの研修プログラム

グループディスカッション(写真提供:SAI)

SAIが中心となって実施した研修プログラムは、労働環境の改善を目的としたものである。 労働者と経営者間の関係づくりやコミュニケーションの改善をはかるために、双方が参加する研修プログラムづくりを目指した。 ひとつの難問は、労働者委員会の設置と労働者代表の選出であった。 SAIは、国際的な労働組合である国際繊維被服皮革労組同盟(ITGLWF)とともに、中国の労働法や関連法、その他慣習、政治的な文脈などを考慮した上で、研修プログラムを作成した。 研修実施にあたっては、Chinese Women Workers’ Network (香港)とInstitute of Contemporary Observation (ICO中国)とともに研修チームを結成した。 また、この研修には、テ社だけでなく、米国国務省、トイザらス、アイリーン・フィッシャーが資金提供を行った。

研修者の養成のあと、いよいよ研修が始まった。 最初は全体セッションで、経営者側と労働者の双方に、この研修プログラムの目的と手順を説明。 つぎに導入セッションを3回にわけて行った。小グループに別れ、国際的な労働基準、国内の労働法などについて学習し、紛争解決の事例学習などを行った。 このセッションの終わりには、労働者と経営者側に工場における問題点を特定してもらった。

得票数の集計の様子(写真提供:SAI)

次のセッションでは、研修者が労使のコミュニケーションの改善に向けていくつかのオプションを提示した。 議論のあと、12の生産ラインの参加者は、満場一致で選挙による労働者委員会の設置を選択した。 ところが、各生産ライン別に労働者委員会の委員の候補者が推薦される段になって、経営者側は、このプロセスが進むことに危惧を持ち始めた。 労働者側が工場の問題を特定し、改善を要求してきた場合に、それを拒否すれば職場の空気が悪くなり、生産性低下につながりかねない。 そこで、経営者側は、生産スケジュールを理由に、その後の研修プログラムの日程を決めることを拒否し、実質的に、そこで研修プログラム自体が棚上げされてしまった。 テ社に圧力をかけてもらう手もあろうが、それでは問題の根本的な解決にはならないと、研修チームは再び経営者側の説得にかかった。 そして、約3ヵ月後に、研修が再開され、2004年の11月にようやく労働者委員の選挙が実施された。その後、労働者委員たちを対象とした研修が行われた。 その内容は、労働者委員会の審議の進め方、ワークプランの作成、コミュニケーションの改善方法、経営者側との交渉の仕方などである。

労働者委員会の成果と研修プログラムの課題

研修プログラム中に、労働者たちは工場の問題として、食事の問題、低廉な賃金、工場の温度をあげた。 経営者側は、50万元をかけて2004年末に新しい食堂を設置、また2005年5月までに工場内に30万元で吸水冷システムを設置した。 難を極めた賃金問題も、労働者委員会がインフレによる価格の高騰などを理由に経営者側にかけあったところ、縫製ラインで働く労働者の8割の賃金が5%あがった。 2005年7月に、無作為で選んだ労働者74人を対象に実施した聞き取り調査では、労働者委員会に対する満足度が高いことが示されている。

また、インシエ社の在職期間の平均は、2003年12月に12.6ヶ月だったのが、2005年同月には25ヶ月と、離職率が低下している。 超過労働時間も2004年に週平均53.04時間だったのが、2006年には週51.02時間と減少傾向にある。 賃金も2004年に月平均125ドルだったのが、2006年には155ドルに、生産性も2004年に25万ユニットだったのが、2005年には37万ユニットと上昇している。 2007年には、労働者委員会により、2度目の労働者委員の選挙が行われた。 その後、インシエ社はSAIの協力を得て、工場の管理費と生産性、労働者の賃金、労働時間、パフォーマンスやスキルなどがはかれる人事システムの構築を行っている。

この研修プログラムは、独立した労働組合の結社を認めていない中国において、労働者と経営者側との関係改善をはかり、労働者委員会の設置、労働者代表の選出を成しえた画期的なものといえよう。 そして、取引先の行動規範や外部の規格・基準の要求事項に適合をするように労働環境を整えるのではなく、働く場の根本的な改善をはかるために、1年以上という長きにわたり、経営者の協力を得ながら、一歩一歩進めていくというやり方が成果に結びついたといえよう。 もっとも、この研修プログラムは、予算つきの外部からの介入により可能になったわけで、すべての研修がこのように行われるわけには行かないだろう。

この事例は、行動規範や外部の規格・基準や、社会監査はあくまでも手段にしか過ぎないということを再確認させるものとなった。 労働環境の改善をはかるためには、そこにいる経営者側と労働者の関係づくりであったり、自主的に改善に向けた取組みをするなどの現場の主体性とコミットメントが重要なのである。 また、労働者委員を選ぶこと自体が目的ではなく、労働者委員会が開かれた形で効果的に機能していくことが大切であることも示している。 そのためには継続性が重要である。 インシエ社の事例では、その後も研修者と経営者側は定期的に会合を持ち、フォローアップを行っている。 なお、この研修プログラムは、他の衣料メーカーのサプライヤーにも実施されるなど広がりを見せている。

*日経ビジネス・オンライン。この本の日本語訳は、2008年12月に日経BP社から「中国貧困絶望工場 『世界の工場』のカラクリ」(邦題)として出版予定。

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