ものごとを考える時に必要な軸、それが評価
私は前職が国際交流・協力分野のNPOの中間支援組織(アライアンス組織)だったので、非営利セクターの事業評価には、その頃から一応馴染みがありました。ただ、高い専門性が求められる分野との認識だったので、NPOの中間支援者として独立するまでは、直接の接点はありませんでした。
2011年に「office musubime(オフィス ムスビメ)」を立ち上げた際、改めて「自分はNPO支援への思いと必要性を感じているけども、実際にどのような支援ができるのだろうか」を突き詰めて考えました。それまで国際交流・協力分野で、NPO全体及び各団体の啓発やNPO間や行政・企業との連携・協働の仲介役や仕組みづくりなどで多くの企画や事業に携わってはきましたが、「場づくり」と「解決」では根本的に異なることは意識していました。前者はNPOの活動の最初の入り口やステップとなるもの。イベントなどを通じてNPOやその担い手と出会ったり、必要な情報やアイデア、お金などのリソースを「つなぐ」機会となるものです。大事ですが、「その時」には役立っても、その後の持続性や発展、課題の本質に迫れるかというと、それは難しいことが多い。きちんとそのNPOにとって必要な形に展開していったり、一時的なものではなく持続的なものにしたり、次のステップへ移し、「解決」の流れに乗せていったり、もう一歩踏み込んだ支援をめざそうと思いました。そのためには、自分の眼でこれだと感じるものを見極める必要がある。組織診断や事業評価、ファンドレイジングなど…「引き出し」を増やすために、独立後、2~3年の間に「これは必要ではないか」と感じたいろんな研修に参加しました。その中で、「自分が持つべき引き出しは評価かも」と感じたのです。
もちろん評価だけでなく、NPOの活動に必須であるファンドレイジングの知識とスキルは常に磨いていますが、組織の課題にどう向き合うかという時、評価の考え方や手法を学べば学ぶほど、その有効性と内容の深さになるほどと唸ったり腑に落ちることが多くありました。各NPOにとって漠然としか見えていない「やるべきこと」を評価の枠組みに当てはめて考えると、PDCAを丁寧に回すことや記録の取り方、組織と事業、財源の関係性、受益者と支援者とのコミュニケーション、成果と課題、アカウンタビリティなど、全ての要素がそこに盛り込まれているからです。
プロジェクトに限らず、ものごとを考える時には拠って立つもの、つまり軸が必要で、私はその一つは評価ではないかと思います。私たち中間支援者は、相手にどのような質問を投げかけるかが肝です。プロジェクトが何を目的とし、誰のためなのか、ニーズはあるのか、どう進めるのか。評価の基本的な体系を頭に入れて全体像が描けていると、思い描く理想像に対して今何が足りていないのかが浮かび上がり、こちらが問いかけるべき質問もしっかり定まってきます。
▲伴走では何より対話を大切にしている▲
「やってよかったね」と言えるのが本来の評価のあり方
私は、評価を中間支援にとって「うまく使えば良い引き出しや機会となるもの」と思っています。ただ、状況や必要に応じて使い分ける必要があります。「誰のために」「誰がするか」が重要で、とにかく資金提供者や外部の求めに応じて、誰かが勝手に数値化したり、成果を示そうという評価はNGだと思います。ことさらに「右肩上がりの結果や成果」を求めるのも違うと思います。評価自体がポジティブな成果を前提として語られすぎているのではないでしょうか。
団体自身がそれまで自分たちが取っていた選択肢が間違いだったことに気づくこと、ポジティブな結果や成果だけでなく、ネガティブな部分に向き合う姿勢やその結果からそこに至る事実の積み重ねを辿っていくと、いろんな判断や行動の選択肢が実は複数存在していたことに気づくこともあります。「受益者のため」と思っていたことが、実は自己満足に活動がなっていたことに気づいて判断や行動を見直すことができたり、それで良かったと確認できたり、「やってよかったね」と言えるのが本来の評価のあり方だと私は思います。
けれども、今はやはりポジティブな成果を求める社会の圧力が強い。「うまくいくことがすばらしい」「効率的に社会を変えていく」という価値観を否定はしませんが、それ一辺倒では、NPOの多様なあり方が失われ、排除を生み出していく危険性はないでしょうか。これは「市民」のあり方にもつながることだと思いますが、余白や他者への許容度が狭くなってきてはいないか。評価の指標も一律ではなく、多様性や個別性があってしかるべきではないか。自分自身にも問いたいと思います。
中間支援者と権力性
中間支援者は、自分が相手との関係において、権力を持つ立場になりがちなことに自覚的でなければいけません。
資金を提供する立場でなくても、知識やスキル、ネットワークといったリソースを持つことは、紛れもなく権力とつながるものです。偏った思い込みに基づく評価をしてしまうリスクを常に意識して臨む必要があります。評価は資金と紐づいている場合が多く、そうなると中間支援者は二重の権力を持つ場合も出てきます。もちろん、評価を行う団体が、見たくない課題に向き合い、走り切るのを支援するためには、この立場が役に立つ時もあります。しかし、同時に害になる時もあります。例えば、ロジックモデルをつくることが団体にとってどんな意味を持つのか、目的や進め方等の共有や理解をしないまま、資金を得るために必要だと言われる/条件になっているから、と、中間支援者と一部のメンバーだけでつくったロジックモデルはどのように活用され、どんな結果を団体にもたらすでしょうか。ロジックモデルはできたとしても、活用もされず、一部のメンバーの時間を奪うだけで終わることもあります。
中間支援者は、NPOの「先生」ではありません。「権力に対して慎重になること」は中間支援において重要な問題で、だからこそ、私たちのような立場の人間に(評価者としての)倫理は重要だと思います。加えて言うならば、評価者としての倫理に限定せず、倫理や人権意識はきちんと考えるべき問題だと思います。中間支援者や個々のNPOが評価というツールをどう使うかは、それぞれの姿勢と意識次第とも言えます。
▲団体が大切にしている価値観をていねいに探っていく▲
“office musubime”に込めた思い
私は静岡県浜松市の出身ですが、楽器や車、オートバイなど、メーカーが多く、革新的な気風や外国人労働者などがもたらす多様性がある一方で、旧来の保守的な価値観も併せもつ土地柄だとも感じています。地方で育つと、就職や進学で東京や都市部に出ていくことが多いのですが、自分は「みんなが東京に行くなら、関西に行こう」と、少しあまのじゃくなところがありました。
大学4回生や大学院生の時にインターンやボランティアとして、関西のNPO活動に関わり、そこで出会った方々に「草の根のNPO」のスピリットや生き方を教えてもらったと思います。今でも「NPOを支援するのは誰のため?」という問いに立ち返った時は、彼ら彼女らをイメージします。NPOの活動は地域が軸だという思いも変わりません。中間支援の必要性と重要性であったり、地域で活動しているNPOの魅力や奥深さを知ったのは、関西国際交流団体協議会で働いていた頃です。第三者が関わることでプロジェクトや団体の新たな一歩をともにつくっていったり、可能性をともに模索していくことに支援の醍醐味を感じました。
NPOは、世の中に必要です。すてきな人達がすてきな活動をたくさんしていたり、人知れず地道に必要な活動をしていたり、当事者の人たちが必死に取り組んでいる活動があったり、私はそんな人たちの役に立ちたいというシンプルな思いで中間支援の活動をしています。
もちろん、思いが先行し過ぎたり偏りすぎると「井の中の蛙大海を知らず」ではないですが、社会状況や流れが見えなくなってしまったり、結果的に孤立してしまったり他者を排除してしまったりすることがあるので、そこは気をつけています。社会状況や流れをリアルタイムで把握できたり、肌で感じることができたり、関係者と出会う機会の多い東京とは違う関西にいる中間支援者として、各団体にとっての「半歩先」をともに考えていけるように心がけています。都市と地域をつなぐ存在の役割もあるのかもしれません。
独立する時にあれこれ屋号を考えたのですが、いろいろな人やものをつないだり、翻訳したり、ともに歩める人になりたいという思いを込めて「office musubime」と名づけました。
(聞き手:事務局 清水みゆき)